おかーさん

もうすぐ?母の日ってことで、おかーさんについて語ってみようか。

「あたし、母に愛されていないの」
小さい時に電車に乗って、疲れたから母にもたれかかるじゃない?そうすると「重いからよりかからないで」って言われてた。え…?よそんちの子は、母親に守られるようにひざの上で丸まってるのに?
手つなぎも同じように、拒否された。「歩きにくいから」って。
母はわたしが産まれてからも母実家にわたしを預けつつ、それまで働いていた市役所でお勤めを続けるつもりだった。でも、わたしは(今じゃ想像できないけど、空想か?ってくらいな話しだけど)「二十歳まで生きられない」くらい身体の弱い子で、その世話をしなくちゃならなくて市役所辞めたから、物心つく頃には「お母さんは、この時期になると本当に悲しくなる」と、テレビでボーナスが出たニュースが流れるたび、つまり6月と12月には、いつも言われてた。「市役所辞めたのはあなたのせいだ」ってはっきり言われたわけではないけど、わたしはちいちゃくなって「はい、すんません」って感じ。

これらの話しをすると、わたしのことをちょっとだけ知っている人は、「母に愛されずに育った子」と、本当に思ってやさしくしてくれることもある。
でも、わたしのことをちゃんと知っている人からは、「なに言ってるの、あんた、どれくらい愛されているのよ」と反撃くらう。

はい、確かにわたしが思い描いているような愛情とは違いますが、大切に育てられたことは間違いありません。
夏みかんとかグレープフルーツとかは冷蔵庫のタッパーに皮むいて入っているのが常だったし、小学生の時のお洋服は母の手作りで結構ドレス風のものばかりだったし、今でも母に依存するところはとても多い。…てか、依存していないところあるのか?ってくらい。その依存例を列挙すると、自分にいたたまれなくなるので、文字にするのは控えますが…。
依存し、それが受け入れられていることは大切にされている、ってことなんだろうな。

時々けんかもする。いや、けっこう、しょっちゅうけんかする。
しかもわたしがしかける。
他人とだったら全然受け流せることを、母から言われるとわたしが「キー」ってなって、キャンキャン吠える。
わたしはちょっと反省する。
おかーさんにあたってどうするのよ、って。
でも、これも母娘のコミュニケーションのひとつってことで、おかーさん許してください。
フレディ松川先生が、「親不孝は、親をボケさせないための最高の親孝行」って言ってたよ。

おかーさんのわたしへの愛情がちょっと子供心に「?」と思ったように、わたしの親孝行や感謝の表現もちょっと違う。それは血筋ってことで勘弁。

でも、わたしほんとうに、おかーさんがいなくなったらもっとダメ人間になっちゃうから、いつまでも元気で長生きしてください。

“母の日”の起源は、亡き母への気持ちからなんだって。
いつかわたしは母を見送らなければいけない、いやだけど、悲しいけど、誰もが通る道。
親孝行、したい時に親は無し、っていうでしょう。死んでからでは遅いんだよー。
たまにはちゃんとわたしは、“生きている母への気持ち”を考えても良いだろうと、思う。いや、ほんとは毎日ちゃんと考えなきゃいけないんだろうけど、それはちょっと気恥ずかしいから。
だって、おかーさんのこと考えると、ほんとうに感謝の気持ちだけだから。







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