本 「夏の庭」
湯本香樹実(かずみ)著。
トーンは「スタンド・バイ・ミー」。
3人の少年の、小学生最後の夏の出来事。
ひとりはひょろっとした木山。
ド近眼で神経質な河辺。
お魚屋さんのおデブちゃん山下。
山下が田舎のおばあちゃんが亡くなって、お葬式に行ったことがきっかけで、死とはどんなものか、気になり始めた少年たち。
小さな一軒家に住む老人に目をつけて、見張りをすることにした。
その老人の死を発見することを目的として。
コドモはいつでも残酷。
死を祈って見張る側、死を祈られて見張られる側、どちらにも張り合いが出てきて、奇妙な友情が生まれる。
おじいさんの家の草むしりのご褒美に、まるごとスイカが用意された。
おじいさんに切るように言われて河辺は答える、「切ったことない」。
そりゃそうだよね、現代っ子だ。
しかも河辺は母一人、子一人の核家族だもん。
スイカまるごとなんて食べきれない。
そこで山下が活躍。
スイカを切る為ではない。
包丁研ぎ。
魚屋さんのお父さんを尊敬している山下は、お店のお手伝いもしているから包丁を大切にする気持ちを知っている。
研いでいる山下を見て、木山が、指切ったことないか、訊く。
「あるよ」なんだそんなこと、と言わんばかりだ。「でも、こわがってさわらないでいたら、いつまでたっても使えないから」(中略)「おとうさんが、言ったんだ」(中略)「…包丁は人を殺すこともできるし、おいしいものを作って人を元気づけることもできる。使い方次第だって、ね。」
おじいさんをはじめ、みんなに関心されている山下クン。
いつもはのろまでデブとバカにされている山下クン、かっこいいー。
雑草とゴミだらけだったおじいさんの庭がきれいになって、水を撒いたその時。
虹が見えた。
光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ。たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。虹のように、ほんのちょっとしたことで姿を現してくれるものもあれば、長くてつらい道のりの果てに、やっと出会えるものもあるに違いない。
小学生が、その思いを馳せるには、重いね。
おじいさんの昔話を聞いて、3人は、おじいさんお“奥さん”を探す。
おじいさんが“捨てた”、“奥さん”。
「うらんでなんかいないでしょう。うらんだって、しかたないですし。それにね、つらいことは忘れてしまうの、あたしは」
おばあさんは、小学生の男の子たちにも丁寧に答えた。
少年たちは、いつか、そのおばあさんの言葉を思い出すだろうか。
おじいさんのために、自分の冒険心のために、“奥さん”を探し出し、「うらんでいるか?」と忘れ去られた過去を思い出させようとしたことが、どんなに残酷だったか、ということを。
最後は…。
急に、お別れが来る。
わかっていた。
そういう風な物語なんだろうな、って。
電車の中で読んでなくてよかったよ。
涙、我慢するのに苦労するよ。
木山が、おとうさんにおとなになったら何になるか聞かれて、遠慮がちに答えた。
父親が「小説家か」と言う。
「そんなの、なれるかどうかわからないけど」(中略)「だけど、ぼくは書いておきたいんだ。忘れたくないことを書きとめて、ほかの人にもわけてあげられたらいいと思う」(中略)「いろんなことをさ、忘れちゃいたくないんだ、今日のことだって、書くと思うよ、きっと」それから今年の夏休みのことも、とぼくは心の中でつけたした。
よい、終わりだ。
ほんとに、スタンド・バイ・ミー、みたいだ。
新潮文庫。
トーンは「スタンド・バイ・ミー」。
3人の少年の、小学生最後の夏の出来事。
ひとりはひょろっとした木山。
ド近眼で神経質な河辺。
お魚屋さんのおデブちゃん山下。
山下が田舎のおばあちゃんが亡くなって、お葬式に行ったことがきっかけで、死とはどんなものか、気になり始めた少年たち。
小さな一軒家に住む老人に目をつけて、見張りをすることにした。
その老人の死を発見することを目的として。
コドモはいつでも残酷。
死を祈って見張る側、死を祈られて見張られる側、どちらにも張り合いが出てきて、奇妙な友情が生まれる。
おじいさんの家の草むしりのご褒美に、まるごとスイカが用意された。
おじいさんに切るように言われて河辺は答える、「切ったことない」。
そりゃそうだよね、現代っ子だ。
しかも河辺は母一人、子一人の核家族だもん。
スイカまるごとなんて食べきれない。
そこで山下が活躍。
スイカを切る為ではない。
包丁研ぎ。
魚屋さんのお父さんを尊敬している山下は、お店のお手伝いもしているから包丁を大切にする気持ちを知っている。
研いでいる山下を見て、木山が、指切ったことないか、訊く。
「あるよ」なんだそんなこと、と言わんばかりだ。「でも、こわがってさわらないでいたら、いつまでたっても使えないから」(中略)「おとうさんが、言ったんだ」(中略)「…包丁は人を殺すこともできるし、おいしいものを作って人を元気づけることもできる。使い方次第だって、ね。」
おじいさんをはじめ、みんなに関心されている山下クン。
いつもはのろまでデブとバカにされている山下クン、かっこいいー。
雑草とゴミだらけだったおじいさんの庭がきれいになって、水を撒いたその時。
虹が見えた。
光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ。たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。虹のように、ほんのちょっとしたことで姿を現してくれるものもあれば、長くてつらい道のりの果てに、やっと出会えるものもあるに違いない。
小学生が、その思いを馳せるには、重いね。
おじいさんの昔話を聞いて、3人は、おじいさんお“奥さん”を探す。
おじいさんが“捨てた”、“奥さん”。
「うらんでなんかいないでしょう。うらんだって、しかたないですし。それにね、つらいことは忘れてしまうの、あたしは」
おばあさんは、小学生の男の子たちにも丁寧に答えた。
少年たちは、いつか、そのおばあさんの言葉を思い出すだろうか。
おじいさんのために、自分の冒険心のために、“奥さん”を探し出し、「うらんでいるか?」と忘れ去られた過去を思い出させようとしたことが、どんなに残酷だったか、ということを。
最後は…。
急に、お別れが来る。
わかっていた。
そういう風な物語なんだろうな、って。
電車の中で読んでなくてよかったよ。
涙、我慢するのに苦労するよ。
木山が、おとうさんにおとなになったら何になるか聞かれて、遠慮がちに答えた。
父親が「小説家か」と言う。
「そんなの、なれるかどうかわからないけど」(中略)「だけど、ぼくは書いておきたいんだ。忘れたくないことを書きとめて、ほかの人にもわけてあげられたらいいと思う」(中略)「いろんなことをさ、忘れちゃいたくないんだ、今日のことだって、書くと思うよ、きっと」それから今年の夏休みのことも、とぼくは心の中でつけたした。
よい、終わりだ。
ほんとに、スタンド・バイ・ミー、みたいだ。
新潮文庫。
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