「笑っていいとも」終了のその日。

昨年の秋に「いいとも」が、32年間の幕引きを聞いて、ニュースでは一部大げさに報道されたりしてたけれど、特に感慨はなかった。

始まりには終わりあり。
諸行無常の響きあり。

フィナーレに近づき、ニュースや、ツイッターや、友人とのあいだでも、ゲストのことが話題になって、さすがにあべちゃん(一国の主ですよ)のは、観たいなぁと思ったけれど、録画するほどでもなく。
わたしの中では、世の中、TVの中とは真逆に、静かに幕がおりるはずだった…のが。

…のに。
3月31日、お昼に幕を閉じた「いいとも」が、夜はスペシャルを放送。
たまたまおうちにいて、まぁ、なら、観てみましょうか、とチャンネルを回した。(回した?)

さんまの悪ふざけから始まって、内輪ネタ、井戸端トーク、に辟易。
ほんと、くだらんわ、っていうのが正直な感想で、これ2時間ちょっと、観る人の気が知れんわ、と自らを卑下しつつ、観た。

続けて観てしまったのは、その2時間ちょっとに、“時代”を感じたから。
例えば、自分の“時代”、
大して「いいとも」に思い出があるわけではないけれど、子どもの時から、新宿、と言ったらアルタだったので、初めてアルタに行った時にはわくわくしたことは、ぼんやり覚えている。
単に通り過ぎたか、中のお店をぷらりとしたか、忘れてしまったけれど、ここのビルの中に、タモリや芸能人がいるんだなぁ、って会えるわけでもないのに、ドキドキした。
そんなおこちゃま(でも、実は結構、大き目のおこちゃまダ)だった時のことを、「いいとも」は思い出させてくれる。
それがわたしの“時代”。

そして、タモリはTVの中でははちゃめちゃなふりしつつも、きちんと32年間、進行に則って、1時間の生放送を司ってきたんだ。
その32年間という長い期間、タモリの内なるものをわたしは知る由もないけれど、それはそれでタモリの“時代”。

…って、さんまや、とんねるずや、爆笑問題や、ナインティナインや、うっちゃんなんちゃんや、ちょいちょいヒロミや、いろーんな芸人、芸能人が、まぁ、まとまることなく、はしゃいで、喋って、暴れているところを観つつ、感慨深くなった。

最後は「いいとも」が終わることより、タモリへの感謝の言葉でレギュラーの香取信吾くんとか、ローラとか、あふれる思い(冷めた言い方すると、勝手な個人的な思い、ともいう)を語ったのが、もう、「いいとも」最後、というより、タモリの最後、みたいになっちゃった。

生前葬…?

と思ったよ、失礼ながら。
でも、タモリ、なんだかやり遂げた感とハッピー感が漂っていて、まぁ、それもいいのかな、って。

タモリの生前葬、2時間ちょっと。
テレビっぽくて、よかった。

やっぱり、ひとつの“時代”は終わった。

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