映画「アバター」

映画「アバター/Avatar」

まずは3Dについて。
最初、自分で視点がうまくあわせられなくて、“飛び出す映画”ではなく“ぼやける映画”になっちゃったんだけど、コツをつかんだら、全然問題なく飛び出す感、奥行き感を感じることができたけど、今度は簡単に慣れちゃったせいか、全然3Dの驚きを感じることがなくなり、ひょっとして、3Dじゃなくてもこれ、いいんじゃないか…なんて懐疑的に思ってしまった。
ディズニーランドでかつて観た、マイケル・ジャクソンの「キャプテンEO」とかミクロキッズの「Honey, I Shrunk the Audience」の方が、ずっとずっと迫力があった。本当に目の前にあるようで、ちょっと不確かだけどスターウォーズに出てくる、なんちゃらなんちゃらが目の前でくるくる回った時は、そこにいるんじゃないかと思って手を出しちゃったくらいだった。
そういう驚きが「アバター」にはなかったんだよなぁ。
わたしが思い描いている3Dとは違った表現だった。
でも、すっかり3Dに慣れてたら、後半の“戦争”シーンで岩かなんかが転がってきた時は、「きゃっ」と言ってすごい勢いでよけちゃった。そういうのは今までにない映画の見方だったから新鮮だったけど、たったそれだけの為に、想像していた以上に重いメガネをかけて観るにはなぁ…。
あのメガネの重さは、鼻がつぶれるかと思った、パンドラの国の人たち並に…。

次は物語について。
壮大すぎるせいか、わたしがおバカだからか、ハリウッド映画にありがちなご都合主義だからか、わからないことばかりで、ついていけなかった。アバターをどうやって遠隔操作しているかわからないし、操作していない時はアバターはどうしているのかわからないし、パンドラの国の人は、アバターは人間が操作しているってわかっているんだよね? なのになんでネイティリから「信じてたのに!」なんて最後の方で責められちゃっているのか不思議だし…。
そして何より、ジェイクの「森を守るために人間と戦う」の決心が、森を焼き、たくさんの人たちを殺し、殺され、人間との融合を図ることなく、人間を追い出して終わり、ってなっているのが、結局たくさんの“死”をみないと平和はおとずれなかったのかな、と思うと悲しかった。ジェイクの信念みたいなものもよくわからなかったし…。もし信念があったとしても簡単に変わりすぎる。
「アバター」の中で、一番きちんと描かれているのは、大佐だと思う。こういう人がいい人と思うわけではもちろんないけれど、登場人物の中で一番、一貫していた。何が欲しいか、それを得るためにはどうするべきかを、わかっている人だった。

好き嫌いでいったらわたしはこれは嫌いだけど、でも、観ていろいろ考えられる映画(3Dのことも、内容のことも)はいいと思う。だから、観てよかった。ちゃんと3Dで観てよかった。

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